Embajada en 日本国 (JAPÓN)

食文化

アルゼンチンの食生活

アルゼンチンの典型的な朝食は、バタ-をたっぷり塗ったト-ストとフル-ツ、それにカフェ・オレです。パンにドゥルセ・デ・レチェというミルクジャムを塗って食べる人もいます。このジャムは、日本のキャラメルに似た味で、アルゼンチン人なら皆大好きです。

お昼は1時から2時30分の間にだいたい1時間くらいかけて食べます。ステ-キとサラダ、または牛肉のカツレツとフライド・ポテトがもっとも一般的な昼食です。パスタ、ピザといったイタリア料理をお昼に食べる人もたくさんいます。

アルゼンチン料理にか欠かせないのが牛肉です。アルゼンチンでは、牛は放牧されていて、自然の牧草を食べて育っているので、無駄な脂肪がなく、肉本来の味わいのあるおいしい牛肉をとても安く食べることができます。普通、家で食べる牛肉は100g40円くらいです。おいしい肉を買おうと思ったら、100g80円くらいです。

夕食の時間は、日本に比べ遅く、10時頃なので、昼食の後、6時頃におやつを食べる人もいます。レストランに行く場合は、9時過ぎに予約していくのが一般的で、10時をまわるとお店は混んできます。子供連れで食事に来ている人々も大勢います。日本では7時頃にレストランに行くことが多いと思いますが、アルゼンチンではその時間にはまだレストランは開いていません。アルゼンチンの夜はとても長いのです。

一般的な夕食は、肉料理が中心で、あまり魚は食べません。ただし、最近ではタイ、ベトナム、メキシコなどエスニック料理が人気で、魚は健康によいと考えて食べる人が増えつつあります。日本食もブ-ムなので、寿司、お刺身を食べる人も増えています。

アルゼンチンでは、今でも日曜日のお昼に家族で食事をする習慣を守っている人々が大勢います。手作りのパスタ、ピザを食べながらおしゃべりを楽しみます。また、友人を家に招いてアサードというアルゼンチン・スタイルのバ-ベキュ-をすることもあります。

アルゼンチンの食生活を説明する時に、イタリア料理が頻繁に登場するのは、アルゼンチンの人口の約80%がイタリア、スペイン系の人々だからです。イタリア系の人々の影響は、食生活のみならず、生活一般にも浸透しています。

アルゼンチンは、他のラテンアメリカ諸国に比べて先住民の比率がとても低く、また、メスティーソと呼ばれる先住民とヨーロッパ系の人々との混血が少ないのもアルゼンチンの特色です。アルゼンチン人にとって、イタリア料理は食生活の一部となっているので、特にイタリア料理と意識することはありません。ですから、「イタリア料理を食べに行こう」 という言い方はしません。しかし、スペイン料理については、アルゼンチン料理とは区別しており、 「スペイン料理を食べに行こう」と言います。

 

DULCE DE LECHE ドゥルセ・デ・レーチェ

「ドゥルセ・デ・レーチェ(DULCE DE LECHE)」は、「SWEET OF MILK (ミルクのお菓子)」に当たるスペイン語で、ミルクをキャラメル化するまで煮詰めたものです。南米ではポピュラーな嗜好品で、パンやクラッカーなどにつけたり、お菓子に使用したり、と日常的に消費されています。

最近の日本ではアイスクリームのフレーバーとしても人気で、これはもともとアルゼンチン市場向けに開発されたものでしたが、米国でも大ヒットし、ニューヨークタイムズ誌・ビジネスウィーク誌などに取り上げられました。

<歴史>

ドゥルセ・デ・レーチェ(Dulce de Leche)の起こりに関しては、諸説様々あるところですが、ここでは最も一般的に言われているものをご紹介します。

それは、1829年7月17日の朝のこと、首都ブエノス・アイレスから65km離れたカニュエラス(Cañuelas)での出来事。フアン・ラバージェ(Juan Lavalle) 将軍とフアン・マヌエル・デ・ロサス (Juan Manuel de Rosas) は終わりの見えない派閥闘争に終止符を打とうと、協定合意の為に会うことになりました。ラバージェ将軍がロサスのキャンプ地に着いた時、ロサスは外出から戻っていませんでした。そこで、ラバージェ将軍は親族でもあり政敵でもある彼のベッドに横になり、そうしていつしか深く眠ってしまいました。その時ちょうどロサスの部屋の脇にいた召使は、ご主人様がマテ茶に入れて飲むレチャーダ(lecheda、牛乳に砂糖を加えたもの)を弱い火にかけて温めていましたが、ご主人様のベッドに横たわる無礼な敵を見て驚き、急いでその男をベッドからどけようと、見張りにこのことを知らせに走りました。その間、レチャーダはずっと火にかけられたままで、ぐつぐつと煮立ったままゆっくりと少しずつ焦げていきました。一方でキャンプの人々がわいわいと騒いでいるその時、ロサスがちょうど帰ってきました。そしてその様子を見ると、怒る代わりに疲れているであろうと戦士を休ませておくよう命じました。翌朝になってラバージェが目覚めてみると、レチャーダは既に茶色いどろどろのクリームのようになっているのを発見しました。それを誰が最初に試してみたのかは分かりません。レチャーダとしては失敗作です。が、とにかく食べてみたらとてもまろやかで美味しいものでした。これがドゥルセ・デ・レーチェの最初です。

このお話は、双方の将軍が「レチャーダの失敗作」を仲良く食べながら、政治に関するあらゆる論議を交わした、というところで終わります。その後、このドゥルセ・デ・レーチェは、広くアルゼンチンの食卓になくてはならないものとして受け入れられました。

 

マテ茶

アルゼンチンでよく飲まれるお茶は、マテ茶です。味は少し日本茶に似て渋いですが、とても身体にいいお茶です。

もともとインディオたちが自生していたマテを薬として用いていました。インディオたちは、この葉を「素晴らしい葉」Kaa-guazuと呼んでいました。

17世紀、スペインの植民地時代に、ミシオネス州に住んでいたイエズス会の修道士たちがこの葉の成分に注目し、インディオの助けをかりて、栽培を始め、今ではアルゼンチンだけでなく、広くラテンアメリカで愛飲されています。マテ茶には、脳と心臓の働きを活性化する作用があります。人種構成の多様なアルゼンチンにおいて、マテ茶はアルゼンチンらしさを示す象徴的な存在です。

時代を超え、ヨ-ロッパからの影響に左右されず伝統として残ったマテ茶は、アルゼンチン人にとって、正真正銘のインディオから受け継いだ文化的遺産なのです。

マテ茶は、ひとりで飲むことも、グル-プでまわし飲みすることもあります。アルゼンチン人では、家にお客様を迎える場合、マテ茶をふるまう習慣があります。マテ茶は歓迎の儀式なのです。マテ茶を共に回し飲みすることで、そのグル-プの一員として認められたことになるのです。

マテ茶を飲むときに使う容器を、マテといいます。昔は、マテ茶を飲むときに、よく乾燥させたひょうたんを使いました。現代では、地域によってひょうたん以外に牛の角、木、ほうろう引きでできた容器が使われています。マテ茶を飲む時は、ボンビ-ジャという金属製で先端が茶漉しの役割を果たすストロ-のようなものを使います。